午前3時に大阪の係留地を出港
今回は男5人で一路淡路島の南に浮かぶ沼島を目指します
流星群が来ているのか流れ星が良く見え、時にはけっこう長く光るものも
満月が明るくって他の星は見えずらかったですよ
暗闇の中
本船や漁船などの
●●の航海灯を避けながら南に向いて走って行きます。
(貨物船やフエリー、タンカー等、鉄で出来た大きな船をヨット乗りは
本船と呼ぶそうです)
目標は友ケ島灯台 Al Fl WR 10s 60m 20M 閃紅白互光(5秒毎に交互に各1閃)と思いきや
オートパイロットセットしてGPSで一直線です
暗いうちは月明かりが海面を照らし、遠くに灯台の光や町の明かりが見えてたのに
夜が明けて周囲が見えて来ると、海の真ん中ですよ
日が昇ると天気はサイコー
日差しが強いけど風があるので涼しいです
大阪湾と紀伊水道を分ける友ヶ島水道まで6時間
ヨットは6ノット(1ノット≒1.862km/h)ちょっとで波の音を聞きながら揺れる事もなく進みます
風が強いと帆だけで10ノット/hは超えるそうです
でも今日は風が弱くエンジンで走ってるので
のろいです
周りは海と空ばっかりで大阪湾と言え陸が見えません
走ってる間は特にすることもなくウトウトしたりボーっと海を眺めたり
贅沢な時間
クーラーボックスで冷やしたプシューが進みます
友ヶ島に近づくにつれて水がどんどん綺麗になって行きますよ
大きな地図で見る
なんやかんやで写真撮れなかったのでWikipediaで説明させていただきます
友が島(手前から地ノ島、沖ノ島、その向こうが淡路島友ヶ島(ともがしま)は、
和歌山県和歌山市加太に属し、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群。瀬戸内海国立公園の一部。
「友ヶ島」を地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称として扱う。
明治時代に旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、
沖ノ島内5箇所と虎島に砲台が造られた。
第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立入は禁止され、地形図にも記載されなかった。
島内の遊歩道に道幅の広い部分が多いのは、砲台などへ通じる軍用道路として開削されたためである。
後の第二次世界大戦は航空戦主体となり、対艦用に造られた砲台は使用されることのないまま終戦を迎えた。
戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定された為、
終戦時に爆破処分された第2砲台以外は軍事施設跡が比較的良好な状態で残っている。
第3砲台は映画や雑誌などのロケで使用されることがあり、
2003年には土木学会選奨土木遺産に選ばれた。
友ヶ島出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
友ヶ島からさらに2時間ほどで本日の停泊地『沼島』到着です
沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ兵庫県南あわじ市に属する島。
面積2.71km²、周囲9.53km[1]、 最高地点は117.2m。瀬戸内海国立公園の一部。人口564人(2010年10月末現在)
交通 [編集]淡路島から沼島汽船を利用する。和歌山下津港や徳島小松島港など本土との直接の便はない。
沼島汽船 洲本港 - 火・木・土のみの週3往復。所要時間52分。土生港 - 一日10往復。所要時間10分
勾玉形の島で北西側の真ん中に漁業中心の集落と沼島漁港があり、
対岸の南あわじ市灘の土生(はぶ)港[、 洲本市の洲本港との間を定期船で結ばれている
沼島出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今回は写真中央の『まんぼう』で行きました
それぞれ係留している所が違う知らないヨット同士でも、狭い漁港では『横抱き』という方法で
停泊するようです。
夕食はそれぞれのヨットで作った料理や酒のつまみを持ち寄り、デッキの上で
夜遅くまで盛り上がりましたよ。
そのままヨットで寝るんですけれど、夜中になっても船内は暑くて暑くて
涼しいデッキに居ると蚊が飛んできてよく寝れなかったですね
翌朝15日は06:00起床 昨夜の残りのハンバーグとカレーを食べて
09:00出港
関西国際空港沖にたちより
海の上から頭の上ぎりぎりを飛び立つ飛行機を見物
17:10 やっと母港に到着
暑かった―
ヨットの上や島では水を自由に使う事が出来ず、暑くても水を浴びることも難しいんです。
桟橋で日焼けした体で水浴びし、やっとエアコンのある生活に戻れます
水浴びがあんなに気持ち良いとは思っていませんでしたよ。
.お盆休みも終わり、自分の中では山下達郎の
さよなら夏の日状態です
あなたにおススメの記事